眼鏡の妄想日記 -2ページ目

ぷきー

こんにちは。眼鏡です。


最近、健康面に決定的な不安を抱えていることが発覚いたしました。


以前から不健康な印象を与えているようでしたが、実際には多少体調を崩しやすい体質なだけだと、思っておりました。


しかし、残念ながらその考えは間違っておりました。


ただ、これだけでどうだということはありません。これまでよりも少し健康には気をつけるつもりです。


まずは、基本的な生活習慣から改善しようかと思っています。


その次に食生活の改善。


たぶんこれで、体調そのものは良くなると思います。


でも、こんな時間に起きているのは、寝れなかったから。だよ☆

きゃぴ☆

こんにちは。


先日、おもむろにダンボールをかぶってみました。



周りに誰も居ませんでした。

こんなん作ってみました

 グラスの中の氷が、ウイスキーに溶かされ音を立てた。私の居る小さな部屋の明かりは、手元にある小さな電燈の一つ。私は氷の立てた音の余韻に浸りながら、オレンジに照らされた氷の陰影を眺めていた。


 私は最近、一年とちょっと付き合っていた彼と別れた。何が理由かは、私がいくら食い下がっても、詳しくは言ってくれなかった。ただ「お互いのため」だとかは言っていた。彼なりの優しさか、それとも彼自身を守るためなのか。しかし、そんなことはどうでも良い。ただ、付き合っている時はいつも優しくしてくれていたし、大きな不満もなかったから、私は彼と結婚をしてもいいかなあ、なんて考えた夜もあった。

 私ももう今年で二十八になる。焦っているのだろうか、この一年はバカにならないと思う。今さら出会いを求めて積極的に何かをするとか、そういうことはあまり考えられない。もういっそ、結婚のためにお見合いをしてみようかとも思った。また、こんなにも結婚にこだわっている自分に驚きもあった。そんな私に届いたのが今日の同窓会の話だった。


 私はいつもより少しお洒落をした。ちょっとだけ綺麗に見えるように、けれどもあまり目立ち過ぎないように。

 会場に着くと、懐かしい顔が受付に立っていた。挨拶をして、受付で名前を書いて、また後でと言ってから中へと入る。会場は大勢の“元学生”によって埋め尽くされていた。学生の頃とは違い、みんな顔立ちがすっかり大人になっている。みんないい年なのだから当然なのだが。

 私はまず、よく一緒に行動していた友達を探すことにした。彼女がみつかれば、他の友達もきっと近くにいるだろう。会場のいたるところから再開を懐かしむ声がする。私も早く友達に会いたくなっていた。一人で歩く私の肩を誰かが叩いた。それは、私が学生の頃付き合っていた人だった。彼とは卒業を前にして別れ、卒業して以来、久しぶりの再開だ。お決まりの挨拶を済ましてしまうと、会話が詰り、お互いになんとなく話辛い雰囲気になってしまった。彼が気転を利かせ、私をみんなのところに連れて行くまでしばらく、私は沈黙に身を委ねた。


 氷は光をそのまま通すほど小さくなり、グラスに注がれたウイスキーもすっかり薄くなっていた。私はそもそもお酒が強いほうではない。それでも強めのお酒が好きなのはどうしてだろうか。ほんの少しずつ、舐めるようにして飲みながら、時間をかけて飲むのが好きなのだ。そう少しずつ飲む。グラスに何度も口付けをするようにして。

なんでもありだなぁ

こんにちは。


今日ふと空を見上げると。


ビキニ型の雲がうかんでいました。

お国柄

こんにちは。眼鏡です。



僕には絶対に忘れないようにしようと思ったことがありました。


そしてそれは、年を重ねるごとに増えていきました。


でもそれと同時に、いつの間にかその気持ちは薄れ、一つずつ忘れていってしまいました。


記憶は風化する。とはよく言ったものですが、風化しないものがどこかにあるのでしょうか?


「ある」と答えるのなら、きっとあなたは素晴らしい人なのでしょう。


「ない」と答えたとしても、それは正解だと思います。


どちらでも正解のはず。


話が逸れてしまいました。


最近になって、その絶対に忘れたくなかったことのいくつかを、僕に思い出させる出来事がありました。


僕という人間の形成に必要なものであると思います。


思いを忘れることがいけないことだとは思いません。


忘れていたとしても、心の底、自分の基本に無意識のうちに染みこんでいるかもしれませんし。


そうでなくても、それはそれで。


ただ、思い出したのは良いことなのか、わからないでいます。


必ずしも、良い、悪いの枠組みで決めることはないでしょう。


決意。覚悟。約束。


僕は、驕(おご)っていたのかもしれません。


それは反省しなければいけない。反省して済むのなら、僕はとても楽です。でも、


反省は時に、自己満足にしかならない。


そう考えてしまうと、僕の今までの人生は、常に自己の満足を得る為に生きてきたのかもしれません。


何をするのにも自己満足がついてまわっていたのかもしれない。


人の為だと思っていたことは、全て自分の満足を得るためで、その人より上の立場に立つ為。


「カシ」を作っておこう。打算的にこう思っていなくても、それに近いものを考えることもあるでしょう。


人の感覚には、何かを評価するということが存在します。ものに優劣をつけるのです。


どこで植えつけられるかは知りませんが、恐らく生き残る上で必要であったのではないかと思います。


多くの選択を迫られる人生において、この感覚はなくてはならない。


ただ、この感覚があるがために、人同士どこかで、上手くいかなくなってしまうのかもしれません。



思うまま書いていたら、長くなってしまいました。

まだまだ続けられそうではありますが、今日はここらへんで止めておこうかと思います。


トランクスとボクサーパンツの狭間で揺れる眼鏡でした。