お国柄 | 眼鏡の妄想日記

お国柄

こんにちは。眼鏡です。



僕には絶対に忘れないようにしようと思ったことがありました。


そしてそれは、年を重ねるごとに増えていきました。


でもそれと同時に、いつの間にかその気持ちは薄れ、一つずつ忘れていってしまいました。


記憶は風化する。とはよく言ったものですが、風化しないものがどこかにあるのでしょうか?


「ある」と答えるのなら、きっとあなたは素晴らしい人なのでしょう。


「ない」と答えたとしても、それは正解だと思います。


どちらでも正解のはず。


話が逸れてしまいました。


最近になって、その絶対に忘れたくなかったことのいくつかを、僕に思い出させる出来事がありました。


僕という人間の形成に必要なものであると思います。


思いを忘れることがいけないことだとは思いません。


忘れていたとしても、心の底、自分の基本に無意識のうちに染みこんでいるかもしれませんし。


そうでなくても、それはそれで。


ただ、思い出したのは良いことなのか、わからないでいます。


必ずしも、良い、悪いの枠組みで決めることはないでしょう。


決意。覚悟。約束。


僕は、驕(おご)っていたのかもしれません。


それは反省しなければいけない。反省して済むのなら、僕はとても楽です。でも、


反省は時に、自己満足にしかならない。


そう考えてしまうと、僕の今までの人生は、常に自己の満足を得る為に生きてきたのかもしれません。


何をするのにも自己満足がついてまわっていたのかもしれない。


人の為だと思っていたことは、全て自分の満足を得るためで、その人より上の立場に立つ為。


「カシ」を作っておこう。打算的にこう思っていなくても、それに近いものを考えることもあるでしょう。


人の感覚には、何かを評価するということが存在します。ものに優劣をつけるのです。


どこで植えつけられるかは知りませんが、恐らく生き残る上で必要であったのではないかと思います。


多くの選択を迫られる人生において、この感覚はなくてはならない。


ただ、この感覚があるがために、人同士どこかで、上手くいかなくなってしまうのかもしれません。



思うまま書いていたら、長くなってしまいました。

まだまだ続けられそうではありますが、今日はここらへんで止めておこうかと思います。


トランクスとボクサーパンツの狭間で揺れる眼鏡でした。